コンシェリアの立地

コンシェリアのある街、新橋

新橋駅の歴史

ビジネス街が広がり、「サラリーマンの街」として有名な新橋。汐留や虎ノ門、銀座の一部も新橋エリアに含まれ、多くのオフィスビルや商業ビルが立ち並ぶなど経済の一大拠点である。
新橋という地名は、汐留川にかけられた橋の名前に由来する。このエリアが新橋と呼ばれるようになったのは関東大震災後の復興に伴う町名整理以来である。町名としての歴史は浅いものの、日本の鉄道駅の元祖である「新橋駅」があるなど、近代日本の歴史を語る上では欠かすことのできないエリアである。

1872年、日本初となる鉄道が新橋、横浜駅(現、桜木町駅)間で開通される。新橋駅はこの際の起点駅とされ、これが日本の鉄道の歴史の始まりである。しかし、当時開業した新橋駅は、現在の新橋駅とは異なる。というのは、当時開業した新橋駅(初代と呼ぶ)は1914年の東京駅完成に伴い、汐留駅に改称された(初代新橋駅はその後、汐留駅として貨物列車の専用駅として利用されたが、1986年の貨物輸送廃止に伴いその歴史に幕を閉じた)。現在の新橋駅(2代目と呼ぶ)は、旧「烏森駅(からすもりえき)」が初代の改称に伴って改称されたものである。2代目新橋駅はその後、日本国有鉄道(国鉄)の駅になり、国鉄の民営化によりJR東日本の駅になるなどを経て、現在では山手線、東海道線をはじめとして、宇都宮線、高崎線、常磐線の乗り入れをしているなど、毎日多くの人が利用する駅として利用されている。
そんな日本鉄道発祥の地である駅前には、SL(C11形蒸気機関車)の車両が1台置かれた「SL広場」があり、テレビ局などによるサラリーマンインタビューが頻繁に行われ、また多くの方が待ち合わせ場所に使うなどの有名スポットになっている。

戦後の復興

戦後からの数年間、都内各地で闇市が多く開かれることになる。早いものでは終戦からわずか1週間たらずで開かれた新宿マーケットがあるが、新橋も戦後闇市が隆盛を極めたエリアのひとつである。闇市は終戦から数年でGHQによる規制により徐々に姿を消していくが、商店街や飲食店街として残っていくことになる。戦後の闇市が行われた場所を源流にして現在でも存在する商店街や商業ビルは多いが、新橋にあるニュー新橋ビルもそのひとつである。
SL広場の脇に建っており、このビルが建っているのもかつて闇市があった場所だ。テキヤ(闇市を仕切っていた露天商)が主導して行われた闇市へのマーケット建設を経て、1960年代の行政による駅前再開発でビルが建てられている。そのためか、ニュー新橋ビルの地下商店会は、マーケット時代の区画のまま飲食店が開かれ、当時の混沌さが漂うなど、戦後の復興の歴史を感じられる場所として存在する。

現在の新橋

現在新橋エリアは、ビジネス街が広がるサラリーマンの街として知られている。内幸町(うちさいわいちょう)にはオフィスビルが複数建ち並び、汐留には大型ビル群が広がり、商業エリアである銀座までも徒歩で行けるなど、経済の一大拠点である。
また烏森神社周辺にはレストランや居酒屋など多くの飲食店が軒を並べるなどし、新橋駅のガード下の飲み屋街などを中心に「サラリーマンの聖地」と呼ばれるなど、新橋は働く人間にとって非常に居心地のいいエリアとなっている。

また、新橋エリアは現在再開発が進んでいる。マッカーサー道路として知られる新虎通りの延伸工事が進んでおり、築地エリアの工事が完了すれば虎ノ門から羽田・成田空港までバス移動が可能になるなど、交通の便が良好になる。
ほかにも、前出のニュー新橋ビルやSL公園を含む一帯の再開発も進められており、店舗やオフィス、そして住居などが入る30階建てのビルを2棟以上建てる計画になっている。

新橋エリアはサラリーマンの聖地とまで言われるほどの日本最大級のビジネスエリアであり、ここには多く人々が働いている。このことから賃貸需要は旺盛であるため、不動産投資を行ううえで決して外すことができないエリアであると言えるだろう。

コンシェリア 新橋 SIX

コンシェリア 新橋 SIX

住所
港区新橋
最寄駅
御成門駅
間取り
1K 1LDK 2LDK

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