コンシェリアの立地

コンシェリアのある街、浅草・蔵前

蔵前の名の由来

隅田川沿いに位置する蔵前は、江戸時代に徳川幕府の御米蔵(浅草御蔵)があったことからこの名がついた。当時この場所には、徳川幕府が天領地から集めた米を収蔵するための米蔵が67棟並んでいたため、多くの米問屋や札差(ふださし:旗本や御家人の代わりに米の受け取りや運搬、売却をおこなう商売)があり、蔵前は江戸有数の繁華街として隆盛を極めた。明治以降、米蔵は「政府御蔵」として明治政府が管理することになったが、関東大震災で焼失。当時の面影は残されておらず、現在蔵前はビジネスビルやおもちゃ問屋、そして小さな町工場や住宅が混在する街になった。また近年では「モノづくり」に力を入れたイベントが開催されるなどし、クリエイターや職人が多く住む街としても知られている。

浅草寺の歴史

蔵前は東京の浅草エリアに含まれる。浅草は浅草寺があるなど下町情緒の漂う街として、毎日多くの人で賑わう都内有数の観光地だ。

浅草を代表する観光地と言えば、まず浅草寺を思い浮かべる人が多いだろう。隅田川で漁をしている最中に偶然仏像を見つけた漁師の兄弟が、のちに出家し、自宅を寺に供養したことが浅草寺の起源とされている。
浅草寺には雷門がある。門の前に立ったときの右側に風神、左側に雷神を配置し、門の中央には「雷門」の文字が書かれた重量約700kgの提灯が吊り下げられており、浅草のランドマークのひとつだ。ちなみに「雷門」は略称で、正式には「風雷神門」である。提灯の裏側には、「風雷神門」と、その正式名称がしっかり記されている。

江戸有数の繁華街から、都内有数の観光地へ

江戸時代の蔵前の隆盛により、浅草は札差や武士らが豪遊する歓楽街として栄え、明治時代には演芸場や劇場が建ち文化の発信地となった。また関東大震災後には松竹が浅草に進出。東宝が進出した有楽町と覇を争う映画の街となった。
しかし戦後、テレビの普及により映画館が減少。70年代には渋谷、新宿、池袋が台頭する、いわゆる「ドーナツ化現象」により、浅草はかつての勢いをなくしてしまう。
その状況を打破するために、浅草サンバカーニバル実行委員会によって浅草サンバカーニバルを開催されるようになり、それが次第にテレビに取り上げられるようになって浅草は徐々にかつての勢いを取り戻していく。平成に入ると、地方と浅草をつなぐ観光バスが走るようになり、人力車で観光案内をするサービスが登場するなど、昔ながらの雰囲気を残した観光地化が功を奏し、浅草の観光客数は増加した。

現在浅草寺は東京観光の際に外せない観光地となっており、浅草寺山門の雷門の前や仲見世通りは、平日であっても多くの観光客で賑わっている。オフィスビルが立ち並び、街からスカイツリーが見えるなど近代的な印象を持ちつつも、下町情緒を色濃く残すエリアとして外国人観光客からの人気も高く、ホテルやゲストハウスが増加した。

浅草エリアの今後

浅草エリアは、東京メトロ銀座線、つくばエクスプレス、都営浅草線、都営大江戸線、東武伊勢崎線など利用できる鉄道が多い街だ。東京や銀座、虎ノ門などの都内主要エリアへ簡単にアクセスできるほか、羽田・成田両空港と鉄道で直結しているなど、交通の便がとても良い。

交通の便が良くなることで、マンション建設や飲食店の新規出店が進んだ。下町情緒あふれる浅草の雰囲気に加え、「台東モノづくりのマチづくり協会」が手掛けるイベント「モノマチ」の効果により「モノづくりの街」、「クリエイターの街」、「東京のブルックリン」という呼ばれ方をするようになった蔵前の存在が、エリアとしての人気の一翼を担っている。エリアの人気は今後も衰えることはないだろう。

人気の観光地であり、なおかつ交通や生活の便が良いことから、多くの人が流入する浅草エリア。今後ますます人口数を増やしていくと予想される。都内で不動産投資を考えるのであれば、浅草エリアは決して無視することのできないエリアであると言えそうだ。

台東区の人口推移参照データ
http://www.city.taito.lg.jp/index/kusei/abouttaito/setai/setaisu/index.html

CONCIERIA 目白 THE GRAND RESIDENCE

コンシェリア東京〈KURAMAE STATION FRONT〉

住所
台東区寿
最寄駅
蔵前駅
間取り
1K 1LDK 2LDK

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